文化人ぶってみる
2007年1月20日かねてから企画していた歴史探索の旅を決行。早目に出ようかと思ったのですが、ぬくぬくお布団の誘惑に負けて結局いつもと同じ時間に出発。起きたのは寧ろいつもよりも遅かったので慌ただしかったです。身から出た錆というやつですね。
京都から湖西線に乗って北上。丁度高校の修学旅行でとった道程を逆行する形です。寝台列車の窓から見た琵琶湖越しの朝日がすごく綺麗だったのはよく覚えています。もう一回見たいもの…と願ってみてもこればかりはねぇ。
既に記憶は大分曖昧になってしまっているのですが、日の出の時刻や列車の時間から考えておそらく小野〜雄琴のどこかだったものと思われます。
堅田で少し列車を待って和邇で下車。後でwest兄様他に渡す予定の荷物がなかなか邪魔だったのでコインロッカーに預けるつもりでいたのですが、駅にコインロッカーがありませんでした。駅には付き物のように思っていたけれど、考えてみたら小さい駅にはありませんよね。駅前のスーパーにも無いようだったので、観念してお土産入りの紙袋を持ち歩くことにしました。
うろうろするうちに元からあまり無い方向感覚が狂って、どっちに行ったらいいのか分からなくなりました。町内の案内図と観光案内板とを必死で見比べて何とか行くべき方向を把握。途中の711で地図を入手できたので裏道にでも入り込まない限り迷う心配はなくなりました。
てこてこ歩いて最初の目的地(というか、当初行くつもりだったのはここだけ)小野神社に到着。のんびり寄り道しながら40分くらいでしょうか。そういえば、途中の神社に流木と思しき木が厳かに立っていたのですが、あれは一体何だったのやら。そこの神社(社務所か何か、生活空間になっている建物)の佇まいが何となくバイエルンの古い農家を思い出させて懐かしかったです。
さて、小野神社は宮司さんも常駐してはいないのであろう静かな神社です。鳥居の前にムクロジの大樹がありました。神社そのものは少し山に入り込むようになっているので社の裏手などは鬱蒼と繁る森という風情なのですが、横手に少し開けた場所があって椿が整然と植えられています。明るさに惹かれて行ってみると、背の低い椿と周りに生えている背の高い楠の木(多分)の間を小鳥が何羽も飛び交っています。いたのはエナガにメジロかシジュウカラというところだと思うのですが、垂直降下をしてみたり、笹の藪を揺らしてみたり、無邪気に遊び回る様が何とも可愛らしくて。サンクチュアリなんて言葉があったなとふと思い出しました。
鳥さん達を驚かさないようにそっと小野神社を辞去、観光掲示板で見た石神古墳群に行ってみることにしました。所々に出ている看板を頼りに進んでいくと、昔ながらの家の間を抜けてだんだん山道に入っていきます。明らかに人の手が入っているので道に迷う心配はしなくて済むのですが、「熊が出ますので注意してください」という看板が出ていてちょっと怖いです。今の時期熊は冬眠していますが。北海道とは生えている植物が全然違うので山は随分と印象を異にします。
肝心の古墳がどれだったのかよく分からないうちに山道が切れて開けた場所に出ました。目の前の案内板で確認すると小野道風神社のすぐ側のようです。欲しい所にきちんと案内板が設置されているのは、京都の街中より余程親切だと思います。
小野道風神社にもお参りして、小野妹子の陵墓、唐臼古墳を目指します。相変わらず頻繁に現れる標識に従って家々の間を抜けていきます。途中の私道っぽい道で地元の人に出会ってちょっと気まずかったので道を確認しました。道は合っていたのですが、どうも地元の人は小野妹子のお墓とはあまり思っていないようでした。実際行ってみたら墓地でしたし。石室が表出してるって書いてあったのですがねえ。一般人には見られないようになってるのかしら。
地図を確認すると和邇より小野の方が近いようだったので、小野駅まで歩いてしまうことにしました。荷物を預けてあるわけでもありませんしね。
琵琶湖寄りの道路の方が景色を楽しめるかと思ったのですが、これが大きな誤算でした。道路と湖の間に私有地があって琵琶湖に近寄れませんし、大きい道路で車が多いので空気も綺麗とは言い難いのです。何より小野駅の入り口が琵琶湖側に無くて一旦坂を上らなければならなかったし。お陰で電車を逃して30分待つ羽目になりました。山寄りの道路の方がおそらく高い位置にあったので、ひょっとしたら近くを歩くより湖がよく見えたかもしれません。小野駅からの眺めは、電線が邪魔なのを除けば割と良かったです。
この後、山科でwest兄様たちに合流してからの話は次の日記に。
京都から湖西線に乗って北上。丁度高校の修学旅行でとった道程を逆行する形です。寝台列車の窓から見た琵琶湖越しの朝日がすごく綺麗だったのはよく覚えています。もう一回見たいもの…と願ってみてもこればかりはねぇ。
既に記憶は大分曖昧になってしまっているのですが、日の出の時刻や列車の時間から考えておそらく小野〜雄琴のどこかだったものと思われます。
堅田で少し列車を待って和邇で下車。後でwest兄様他に渡す予定の荷物がなかなか邪魔だったのでコインロッカーに預けるつもりでいたのですが、駅にコインロッカーがありませんでした。駅には付き物のように思っていたけれど、考えてみたら小さい駅にはありませんよね。駅前のスーパーにも無いようだったので、観念してお土産入りの紙袋を持ち歩くことにしました。
うろうろするうちに元からあまり無い方向感覚が狂って、どっちに行ったらいいのか分からなくなりました。町内の案内図と観光案内板とを必死で見比べて何とか行くべき方向を把握。途中の711で地図を入手できたので裏道にでも入り込まない限り迷う心配はなくなりました。
てこてこ歩いて最初の目的地(というか、当初行くつもりだったのはここだけ)小野神社に到着。のんびり寄り道しながら40分くらいでしょうか。そういえば、途中の神社に流木と思しき木が厳かに立っていたのですが、あれは一体何だったのやら。そこの神社(社務所か何か、生活空間になっている建物)の佇まいが何となくバイエルンの古い農家を思い出させて懐かしかったです。
さて、小野神社は宮司さんも常駐してはいないのであろう静かな神社です。鳥居の前にムクロジの大樹がありました。神社そのものは少し山に入り込むようになっているので社の裏手などは鬱蒼と繁る森という風情なのですが、横手に少し開けた場所があって椿が整然と植えられています。明るさに惹かれて行ってみると、背の低い椿と周りに生えている背の高い楠の木(多分)の間を小鳥が何羽も飛び交っています。いたのはエナガにメジロかシジュウカラというところだと思うのですが、垂直降下をしてみたり、笹の藪を揺らしてみたり、無邪気に遊び回る様が何とも可愛らしくて。サンクチュアリなんて言葉があったなとふと思い出しました。
鳥さん達を驚かさないようにそっと小野神社を辞去、観光掲示板で見た石神古墳群に行ってみることにしました。所々に出ている看板を頼りに進んでいくと、昔ながらの家の間を抜けてだんだん山道に入っていきます。明らかに人の手が入っているので道に迷う心配はしなくて済むのですが、「熊が出ますので注意してください」という看板が出ていてちょっと怖いです。今の時期熊は冬眠していますが。北海道とは生えている植物が全然違うので山は随分と印象を異にします。
肝心の古墳がどれだったのかよく分からないうちに山道が切れて開けた場所に出ました。目の前の案内板で確認すると小野道風神社のすぐ側のようです。欲しい所にきちんと案内板が設置されているのは、京都の街中より余程親切だと思います。
小野道風神社にもお参りして、小野妹子の陵墓、唐臼古墳を目指します。相変わらず頻繁に現れる標識に従って家々の間を抜けていきます。途中の私道っぽい道で地元の人に出会ってちょっと気まずかったので道を確認しました。道は合っていたのですが、どうも地元の人は小野妹子のお墓とはあまり思っていないようでした。実際行ってみたら墓地でしたし。石室が表出してるって書いてあったのですがねえ。一般人には見られないようになってるのかしら。
地図を確認すると和邇より小野の方が近いようだったので、小野駅まで歩いてしまうことにしました。荷物を預けてあるわけでもありませんしね。
琵琶湖寄りの道路の方が景色を楽しめるかと思ったのですが、これが大きな誤算でした。道路と湖の間に私有地があって琵琶湖に近寄れませんし、大きい道路で車が多いので空気も綺麗とは言い難いのです。何より小野駅の入り口が琵琶湖側に無くて一旦坂を上らなければならなかったし。お陰で電車を逃して30分待つ羽目になりました。山寄りの道路の方がおそらく高い位置にあったので、ひょっとしたら近くを歩くより湖がよく見えたかもしれません。小野駅からの眺めは、電線が邪魔なのを除けば割と良かったです。
この後、山科でwest兄様たちに合流してからの話は次の日記に。
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